なのログ

だから見てて下さい・・・俺の・・・変身

2019年とAndroidと東京暮らしと

年末です。年始に臨む前に、いつもの(?)やつ、やっときましょう。
たぶんこれは実質退職エントリになります。


こんにちは、こんばんは。こちら12月30日です。年末ですね。休めてますか。
そういうわけで書き始めます。書き終わる頃には31日になっていそうな気配がしています。(20時30分)

こちら昨年版。
nanoyatsu.hatenadiary.jp

それでは、また月別にやっていくことにしましょう。

まえおき

  • なのやつです
  • 18年11月に転職をしています
  • それまで愛知県にいました
  • それから都民になりました
  • プログラムかいてごはんたべてます
  • 赤から鍋を週2くらいでたべてます(郷土愛アピ)

ところで間違いなく過去の類似記事と内容がカブりますが、
それは必然なので気にせずに進めていきます。よろしくおねがいします。

1月

転職3ヶ月目の僕ですね。
仕事で与えられたMacBookでAndroidStudioとPhpStormを起動してせっせといじっていた頃です。
たぶんSSHにも慣れた頃じゃないですかね。(ド底辺ライン)

業務的には、会社で「18年3月くらいに作られて9月から稼働、11月時点で作業者0」のAndroidアプリの改善メンテを任命されて3ヶ月目です。
たしか18年12月中には(個人的に)初めてのバージョンアップリリースとかなんとかをした覚えがあります。
既存Javaコードに倣いつつAndroidをなんとか触っておりますという状況で、なんだか思い出すと泣けてくる気がします。当時の俺メッチャひでえコード書いてたよ間違いない。
この頃の経験は、レイヤ高めな実装そのものの詳細な事とかはともかく、開発に至る色々な能力の基本の部分とかはかなり修行になったと思います。そもそものプログラム書く能力とかJavaの知見とか。Androidのライフサイクルとか。参考を選ぶ能力とか。

あとテスト環境がEC2のt2.microをそのまま渡された奴だったりした影響で、
サーバーとかDB(MySQL)とかの領域に対して「自分じゃ何もやったこと無いッス」くらいの所から多少進化があったはずですね。

2月

そんなことをしながら過ごしていましたが、
実は18年12月の暮れにはほのめかされつつ、1月初頭に宣言された「別の仕事」があったのでした。
それまでの仕事の様子から「イケんちゃう」というジャッジが下ったのかもしれません。だったら良いよな!(不明)

ぶっちゃけこの「仕事」の内容はこの記事で済んでしまうんですけど。 nanoyatsu.hatenadiary.jp
(なんかWebフロントの話が降ってきたんスわという話が書いてあります)

これ↑を見つつ「今改めて思ったこと」みたいな視点で書くとしますと、

  • (フロント表現的に)もっとイイ感じにしたい所は正直たくさんある
  • 当時も言ったけどCSSは思ったよりいいヤツだった
  • CSSについて:)ちゃんと整えて勉強したらすげえ楽しめそう 当時もそこそこ楽しんだ
  • Nuxtはすげえよ(他の環境全くしらんけど)
  • MDNを見て学ぶことを学んだ
  • 紛れもなく今後に助かる経験(Webフロント領域)で、ほんと得した

あたりの感想が浮かびます。
この経験を持ってして、残り僕がやるべきモノはElmだと感じています。本能が。Elmをやらねばなりません。Elmをやれ。(Elmやるやる詐欺)(ほんとずっと言ってるだけだよこいつ)

3月

退職を考えはじめました。 (!?!?!?!?!?!?!?)

唐突。
先にいうと、業務的には2月の続きをしています。というよりそもそもWebフロントの仕事はほとんど3月にやっていた気がします。

退職について、そう詳細に語るつもりでも無いんですけれど、とりあえずこの3月頃に思ったのは、

「将来この会社に骨を埋められんな・・・」

というような話だったと思います。抽象的すぎる。埋められん理由が知りたいんだよ。
こう、周囲にあるイロイロがあまり魅力のあるものでないことに気付いたんですよね。

ただまあ、「ここからどんどんと退職の気運が高まりまして・・・」という話でもなく、
「今になって思い出すに、3月には1回思ってたな」くらいのやつです。

当時「20年4月くらいに辞めるって宣言して、あとはなんか上手く行かんかなあ」的なことをよく思っていた気がします。
時期はどれもこれもズレましたが、根底にあるのは「早めに宣言したら(比較的)みんなハッピーなはず・・・」というロジックです。

まあ上手く行きませんね。そういうのは。
いらん心配だったりとかって点も含めて。(結局宣言8月だし、退職12月だし)

4月

4月、わりと虚無だったような気がしています。何故。

業務的にはまだまだ引き続きVueのやつをしています。
そのあたりはこいつですね。
nanoyatsu.hatenadiary.jp

で、「そのあたり」以外の視点からのことを書いていきたい気持ちな訳ですが、
なんだか思い当たるものがありません。 一月前に退職を考えておきながら。

何してたんですかね、4月。なんかゲームとかしたかな。してない気がするな。
KH3もMHWも時期が違いますよね。してないな。わからん。

5月

Androidに帰ってきました。
思い返すと、このあたりのシーズンで「Androidやっていくぞ」のマインドが少しずつ固まっていったんじゃないかという気持ちがあります。

というのも、4,5,6月振り返り記事にもあるように、このタイミングで自社のメインのAndroidアプリ(たしかコード15万行くらい)のコードをさわり始めたんですよね。
これがそこそこ昔からある注ぎ足しプロジェクトなので、そのリファクタを目標にして色々調べるに至る訳です。

1月のところで「既存コードに倣い」という書き方をしましたが、倣うだけでなく疑うことを知ったわけです。
いわゆる守破離の「破」かもしれません。なんだこいつ無駄にカッコいい言い方したな。

こう書くとアレですが、この注ぎ足しコードがAndroidとか関係なくそこそこなコードだったので、結果的に「守」の終了が早まって逆に助かったと言えるかもしれません。なんだそれ。

そういう流れで、PEAKSのAndroidの設計の青い本を読むとか、「androidxちゅうやつがおるんか」とか、6月のRobolectricのアレを書くとかをしていました。

6月

退職を決意しました。

唐突。take2。

6月の16日か17日くらいにそういう決心をしたのを覚えています。

6月25日くらいに社外の知人に会って喋っていたとき、理由を聞かれて「とりあえず、人が・・・」と語りだしたら「それ普通最後のダメ押しだからな!?」とツッコまれました。
たしかにそうかと思って、これまでの転職はどちらかというと「周りの人は良いんだけど」から喋りだせる内容だったなとも思ったりして、・・・思ったりしました。(言葉を紡ぐのをやめたブログ筆者)

ちょっと良くない雰囲気が文章から漂ってしまいましたが、こう、「守破離の破になったのかもしれん」とか言っている時点でもそのケはありますよね。そうですよ理由なんて一言で言えるもんじゃないんですよ・・・(逃げ)(実際ここから退職までの半年間で思うことがコロコロ変わったりもしているので)

7月

リポジトリが立ちました。(これはこれで唐突)

(さっき撮ってツイートしてみました)

ブログでは一度チラっと喋った以外は意図的に触れていなかったんですが、 Androidのお勉強を兼ねながら、Mastodonのクライアントアプリを作っています。 開発当初はHTTP通信のライブラリの使い方から学ぶ感じでしたが、今ではなんとかイマドキ☆Android開発みたいな雰囲気を醸し出しはじめている可能性があります。

意図的に触れていなかった理由ですが、実はブログ的には「作ってる」じゃなくて「作った」って言いたかったんですよね。
この記事で言及しない訳にもいかないなと思ったので「作ってる」になってしまいました。くやしい。

仕事のほうは、なんか軽減税率対応とかをしていました。 nanoyatsu.hatenadiary.jp

8月

社内で退職宣言をしました。

はじめ上長に「12月に辞めます」と送って、最終的に年末退職となりました。
自分個人としては前から決めていたことを発信しただけで大きな変化が起きた訳ではないので、6月ほど言うことがないですね。

あとKotlinFestに行きました。
nanoyatsu.hatenadiary.jp

たぶん来年も行きます。

あとちょっとモンハンしてました。18年1月に買ってからずっと置物だったんですけど。そんでそこそこハマってそのままアイスボーンまで走りました

9月

9月は薄めな気がします。

ちょっと就活をしまして、たまたま「こういうアプリを作れ」という課題が続いたんですが、どれもなんとか作って提出してはコケてました。
今になって思うと「どういう実装やねん」というコードばかりだったので妥当でした。この時の苦しみはわりと意味があったと思います。

ああ、あと社内で退職ラッシュ的な流れが生まれてきたのがこの頃ですかね。 8月で2人、9月で2人辞めたかな?と思います。内1人は開発で、入社4ヶ月で退職に至ってしまっていました。あと7月から休職が居たりしました。

〜〜 12月のことを書きながら思い出したこと ここから 〜〜
後から思い出して書き足していますが、そういえば自分はこの9月くらいまでだいたい毎日23時とか25時とか一番遅いと29時とか(これはさすがに自分が勝手にやっただけ)の勤務をしていました。だからたまに仕事以外の記憶が薄くなるのか、みたいな。(とってつけた理由)
そして軽減税率対応あたりを片付けて以降、退職の決意も含めて20時半とかの早めに上がるようにしはじめていました。それでもたまに22時過ぎまで居たりしたものの。
〜〜 12月のことを書きながら思い出したこと ここまで 〜〜

10月

もしかして10月もっと薄いかもしれない。

仕事がちょっと燃えたりしました。燃えたというか燃えてる仕事が入ってきたというか
燃えてる仕事で開発メンバーのモチベーションが死んでしまったりということもあり、今思うと先述の「流れ」は形を変えて色々なところに現れていたような気がします。
ただ不幸が重なったと見るか、一つのストリームがあると見るかの差でしかないかもしれませんけど。

11月

ここでCodelabsを見つけました。

もうメッチャ守破離の守よ

Codelabsもそうなんですが、それを通してAndroid開発の今の動きというか、そういうものの見方がわかっていっているような気がしています。メチャクチャ曖昧なんですけどたぶん大きい。 11月はそういう学びばかりしていました。本当に良い期間だったと思います。

あと片手間に登録していたForkwellリポジトリ解析結果がやたら見栄えだけする感じになってしまい、ぼちぼち企業スカウトを頂けたりしていました。
ただ、10月からエントリーを一旦やめていたので、どこも12月から受け直す形にしていました。

12月

それでここはもう直近ですね。

つい先日27日にですが最終出社も終えました。最終日までコードを書く作業をしてしまっていましたが、ちゃんと片付けるものを片付けて終えることができたつもりです。
社内で予想外のメンバーからもエールを貰えたりもして、ヨッシャ開発能力高めていくぞとなっているのが今です。

就活も再開?しまして、既に選考に入っているところもありますが、20年1月を含めてたくさん面接を受けると思います。がんばります。

おわり

さて、本当に恥ずかしながら2年連続で退職の事ばかり書くことになってしまいました。こんなの求人媒体の人しか喜びません。

個人的には確実に前回と違った活動をしていて、ただ1年過ぎて繰り返しているだけではないことは明白です。
なんだかんだでこの一年勤めた会社で始めたAndroidを続けていくぞと思えていることとか、ほとんどマトモなプログラミング業務をしたことが無いようなところから経験をさせてもらえたこととか、13ヶ月での退職という結果ではあるものの実りはあったなという実感です。

タイトルに挙げながら一切触れませんでしたが、そもそも今の会社(12月31日まで在籍なので)に入ってなかったら東京に来れてませんでしたからね。そういうレベルです。

そんなかんじで、2020年は就職活動から始まります。
2019年、お疲れ様でした。2020年、よろしくおねがいします。